僕は全然できた父親ではありません

woman at table with empty planner and coffee 多言語教育
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日頃、子育てについて、うまく感情コントロールして、子供の話を傾聴して、

ちゃんと「分かった父親的」な投稿をしていますが、

実は日々たくさんの失敗もしています。(苦笑)

先日、算数の宿題をしていた息子が、質問をしてきました。

「1時30分の50分前は何時何分ですか?」という問題があり、意味が分からないと言っています。

「何の意味が分からないのか?」と聞いても、「意味がわからない。」の一点張り。

段々とイライラしてきましたが、それでもなんとか落ち着き、

文章を分解して、単語一つづつについて聞いていくと、

結局、1時間前と1時間後のような、

「前」や「後」という言葉の表す意味が良く分からないと言うことが分かりました。

「前って、前だから、前だよね。」

文字で書くとまったく意味が分かりませんが(笑)、

要するに、息子にとっての前は

自分やモノの前、Frontという意味で理解しているという事で、

後はというと、うしろ、Backという意味で理解をしているという事でした。

それは彼の説明する際の手振りでかろうじて分かりました。

(前という単語を説明するに、前方方向に手を持っていき、後ろの時は後ろにしていたので。)

だから、「1時30分の50分前は何時ですか?」というような問題が

「???」とさっぱり意味が分からなくなってしまっていたと言うことだったのです。

そこまで分かるのに30分位かかり、

「何が分からないの?」と声をあげてしまうこと、5回位、、、。(反省)

そういうことだったのかと、

今度は時計を持ってきて、実際に分針を左に動かしながら、

「10分前、20分前、、、、50分前」と説明をすると、

「なるほど、左に行くことが前なんだね。」と理解していました。

あっているようで、完全に正解かと言われれば、自信がない。

おそらく息子は、時間に対して、何分前とか、後ろとかそういうことへの感覚が不確かだったんだということが分かったのです。

物理的な前後ははっきりと認識していた訳ですが。

という感じで、本題にたどり着くまでに1時間余りかかったわけです。

こういった基本的な概念の部分について、僕自身は幼少期に理解ができなかったと言う経験はなかったと思います。

しかしながら、息子はタイ語と日本語2つの言語環境で生活しているし、専門的なことはよく分かりませんが、何か2つ以上の言語概念を統合するために、彼の脳内では何かしらの競合が起こっているのかもしれないとも思えました。

なんだかんだで負担がかかっているのだろうなぁと。

ならば、そこを理解して、よりおおらかな態度でゆったり、ゆっくり接してあげればいいいものを、そうはなかなかできないところが、僕のまだまだ未熟なところです。

やっと問題の意味を理解して、スタートラインにたったというのに、息子は完全に集中力とエネルギー切れ状態となり、もう宿題をやる気力が残っていない。

ならば、宿題を切り上げて、「外で遊んでこい!」とやれば良いのですが、そこはもう意地の張り合いのような状態になっていて、

息子からすると、さっさと終わらせたいので、

「もう十分だから、答えを教えろ!」となるし、

僕からすると、「答えだけ教えるなんて意味がない。さっき分かったことを使って、時計をつかってもいいから、やってみろ!」と、意地のぶつかり合いになる。

結局、いい塩梅で切り上げることができず、、、、。

そんなすったもんだも日常茶飯事なのです。

ただ、そういうことがあったとしても、大体夜寝る前位には、二人で向かい合って、ちゃんと謝って、わだかまりなく一日を終えるようにしています。

あともう少しでその「いい塩梅」を掴めるように感じながらも、

僕も息子も日々変化しているので、まだまだこのような意地の張り合いもきっと続いていくことと思います。(笑)

最後はいつもこの締めになりますが、本当に日々学びです。

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