◎息子の人生は息子のもの。

◎息子の人生は息子のもの。

今更ながら嫌われる勇気を読み返しています。
読んでいるのはタイ語版。

一日に少しずつ(最低5ページ位)読んでいますが、言語は変われど気づきがたくさんありますね。

さて、アドラー心理学の有名な用語で「課題の分離」というものがあります。

自分自身の課題や責任と他人の課題や責任を区別することを指します。

自分の人生全般、それぞれの行動に対して責任を持ち、他人に対してもその自己責任を尊重するというもの。

つまりは、

私の人生は私のもの

であり、

息子の人生は息子のもの。

という感じで、自己と他者の境界を明確にし、親が子供の代わりに全てを決めたり、解決したりすることをせず、

子供が自己の課題を経験し、自己成長することを尊重し、サポートしていくという距離感、スタンスという言い方が適切かもしれません。

子育てにおいて、この考え方がとても大切だと思っているのですが、実際に実践するのはなかなか難しいことではあります。

良かれと思って、あるいは無意識に、自分の理想や欲望を押し付けてしまうことが発生し、その度に子供との間での摩擦が起こったりします。

ですが、立場を逆にして、自分が息子だったらどう思うか?という視点に経ってみると、少し全体像が見えてくる気がします。

せっかく自分のやり方で楽しく遊んでいるにも関わらず、親が横からあれこれと指示をしてくることが鬱陶しい。

せっかくやりたくもない宿題をやっているのに、横で親があれこれ、下手な説明してくるから、余計にわからなくなって、イライラしてしまう。

息子は今、新しく出会った遊びに対して、向き合い、どんな遊び方をするのか、どうやったら楽しいかを学んでいる最中、

(オリジナルの遊び方よりももっと面白いやり方を発見するかもしれないし、いろんな視点から試行錯誤することで思考力を鍛えている。)

息子は今、分からないと言う経験をしている、

(わからない経験を通じて、分かるようになる。)

そのように見れるようになると、子育てはもっと楽になるのにと思いながらも、言うは易し、行うは難しですね。

私の人生が私のものであるように、息子の人生も息子のもの。

だから、著しく人道に反するようなことであったり、生命に関わるような危険な行為でない限り、(それすらも、本当は不要な介入7日もしれませんが。)

親はただ見守るのみ。(ドキドキしながら、、、。)

逆説的ですが、私が本当に私の人生を生きていると思えたなら、息子の人生も息子のものだと、矛盾なく、摩擦なく言い切れる日も来るのかもしれませんね。

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