湧き上がる感情に意識を向け、感情に紐付いている欲求について考えてみることの効用をお伝えしました。
子供と学習をしている時に湧いてくる感情はなにか?
問題が解けた嬉しさ、頑張ってる様子を見て微笑ましく想う喜びなどもありますが、それは置いといて、、、。
①子供がなかなか理解してくれず、声を荒らげてしまう。→子供への怒り
その背景には、何があるでしょうか?
●時間通りに決められた課題を終わらせて欲しいという欲求
→仕事の予定があって、業務に差し支えるなど大人の理由。
●課題を間違えずに解いて欲しい。 こんな簡単な問題は出来て当たり前。
他の子達は上手く出来ているはず。
→出来て当然という期待、家の子ができないのは、恥ずかしいという大人の理由。
●どうして私がこんなに四苦八苦しなくてはならないのか?
学校が休校になっているせい、政府のせい、コロナのせい。
→誰かなんとかして!自分がコントロール出来ないことへの責任転嫁
●どうしてもっと上手く伝えられないのか?
→自分の能力への嘆き
このような怒りや嘆きの感情が入り混じっているのではないでしょうか?
「怒っているな。悲しんでいるな、嘆いているな。」
そんなふうに今の感情を認めることがスタートです。
まずは感情の背景まで含めて認めることで、掴んだ感情から一歩引いた状態になれます。
事象を認め、そこから感情を切り離す感覚です。
「そもそも子供は全く悪くない。」
ということが分かれば、もう怒りに任せて、子供を叱ることもありませんよね。
(って言いながら、結構難しいのですが、、。)
子供が集中力を切らして、周りのおもちゃに手を伸ばしたり、
何度も同じ箇所で言い間違えたり、
椅子から立ち上がって周りを歩こうとしようとしたりしたとしても、、、、。
思わず「がーっ」と、怒りの感情が沸き起こってきても、その怒りの感情を認めて、
起っている事象にのみ目を向けることで、心をニュートラルな状態にすることが出来ます。
もちろん訓練が必要ですし、私も毎日訓練中です。(笑)
感情の客観視に有効なことは、怒りの感情が沸き起こるポイントを知ることです。
私の場合は、
①時間に関する事
②態度に関すること
この2点が怒りが発生しやすいポイントでした。
具体的には
学習は8時開始と決めているにも関わらず、ダラダラとしていて、机につかないこと。
休憩後 9時には次の授業の準備をして待っていることと決めていても、タブレットで遊んでいること。
学習中はおもちゃなどで遊ばない、
足は椅子や机の上に上げない、
歩きまわらない、
それらが出来ていないと、思わず激怒してしまってました。
これらも私の受けてきた教育の記憶による、私の常識でしかないので、
果たして良いことなのかどうかは今後も検討していくべき事なのですが、
それら自身の怒りの感情を持ちやすいポイント知ることで、より感情を客観視できる助けになると思います。
少し訓練を積んでいくと、たとえばひらがな学習中に、おもちゃ箱からアイロンマンの人形を取り出してきたとしても、客観視して、少し待つことで、
「アイロンマンのあ!」と子供が言うという現実が起こり、まさにそれがひらがなの学習になるわけです。
*これは我が家の実話です。これが起った瞬間、何か悟った感覚がありました。(大げさですね、、、。)
普通なら、おもちゃを取り出そうとしているその瞬間に、「駄目!」と叱ってしまいますよね。
そしたら、「アイロンマンのあ」という子供の自発的な学びの機会は永遠に訪れず、子供は学習意欲を奪われ、親も「またおもちゃ!」と不機嫌になり、大切なものを失ってしまいます。
こうして息子との学習を通じて、
一つ一つの現象や自身の感情について意識を向けていく体験をしていると、
この体験事態がいわゆる「瞑想」になっているように感じています。
それについてはまた別の機会にでも紹介出来たらと思います。
ここまで来るのに2ヶ月半。
実感しているのは、
教えることが最大の学びということ。
これまで書籍やセミナーなどで子育てや教育についてそれなりに学んで来たつもりでしたが、まだまだ全然、初歩の初歩も出来ていなかったことを痛感しています。
実践が圧倒的に足りていなかったということですね。
改めて「教えることが最大の学び」だなと思っています。
コロナのおかげでいきなりやってきたこの機会、いわば学びの大チャンスです。
世の中の子育て世代みんなで「子育ての達人」になってしまいましょう!
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