3ヶ月間息子のオンライン授業をサポートして気づいた恐ろしいこととは?

子育て

6月で7歳になった我が息子。

本来なら4月から「ピカピカの一年生!」として、学校に通うはずでしたが、タイでもコロナの影響も大きく、実はまだ登校できてません。

幼稚園時代のお友達はもとより、新しいお友達とも会えていない状態です。

ずっと家にいること、これまでのように飛行機に乗って海外へでかけたり、プールなどで遊べない中、さぞ、退屈さを感じていると思いきや、

意外なことに、実際は真逆で、家での時間を思い切り満喫しているようです。

オンライン学習も3ヶ月目となり、すっかり慣れてきました。

息子が、、、。

慣れていないのは大人の方ですね、、、。(苦笑)

最低限の学校からの課題を終えた後は、家の中で好きなことして遊んでますし、夕方には団地内の公園で、地域の子供たちと辺りが真っ暗になるまで思い切り遊んでいます。

幸い、私の住む地域では、外出の自粛、マスク着用への要求圧力が、団地内というゲートコミュニティ内の限られたエリアに限ってではありますが、それほど高くありません。

もちろん気にされる大人もおられるのでそこは配慮をしながらお付き合いをしていますが、外で遊んでいる子供たちはその辺り気にすることもなく、有り余ったパワーを炸裂させています。(笑)

現状況下でこのような環境に住んでいるというのは、大変有り難いことだと、しみじみ思っています。

さて、そんな感じで息子の方はおうち時間を満喫しているのですが、親の方は日々様々な葛藤と闘っておりました。(笑)

今回は親として息子のオンライン学習に毎日付き合ってきて感じたことをシェアしたいと思います。

この経験を通じて自分でもかなりショックなことが分かりました。

しかしながら、

「今、分かってよかった。」

そんな気持ちです。

あなたにもおそらく同じような体験があるかもしれません。

最初の約1ヶ月間は、まずは学習の習慣づくり段階ですし、学習というよりも、「遊び」という感じの課題が多く、そして私自身もオンライン学習の物珍しさもあり、さほどストレスなく関わることができました。

急におかしくなったのは、2ヶ月目に入った頃からでしょうか、2,3ページの少し長めの音読や、文章を読んで、その時に感じたことを言語化させたり、

かんたんな文章をノートに書いたりするワークが増えてきました。

息子はひらがなは一通りわかるとはいえ、まだスラスラ読んだり、書いたりすることはできません。

また、「わたしはがっこうにいきます。」みたいな文章には慣れていませんし、

「このおはなしをよんで、どうかんじましたか?」といわれても、「たのしかった。」と答える位しか、うまく気持ちの言語化ができません。

タイ語での表現だったらもう少し易しいのかもしれないのですが、やはり予想していた通りの課題にぶつかったわけです。

音読は、私が先導する形で、何度も何度も読んだり、

作文は、私がお手本を書いて、そのまま書いてもらったり、

気持ちの言語化については、

「たのしそうだった? かなしそうだった? くやしそうだった?」みたいな感じで、こちらから感情を想起させるように問いかけたり、色々とトライしてみました。

しかしながら、やればやるほど、息子の顔が曇ってきて、

途中逃げるようにトイレに行ったり、

母親のところへ行ったり、

教科書の他のページを開いて、こっちをやろうとか、言い出したり、

椅子から降りて、周りのおもちゃを取り出してガチャガチャしたりという行動を取り始めます。

一方私の方はというと、

「どうしてわからないのか?」

イライラが募ってきましたし、そうやって息子が勉強以外の事に注意を向けることが、一生懸命にガイドしようとしている私のことをないがしろにしていると感じ、

「まじめにやってるのか!」

みたいな感じで怒りの感情を掴みに行ってしまいます。

そしてついには、「やめる、もういい!」

声を荒らげてしまう始末。

息子もびっくりしたと思いますが、一番驚いたのは私自身でした。

これまで物分りのいいお父さんを演じられていたと、勝手に自覚していたため、私自身、息子の学習のことでこんなに感情をむき出しにして怒るという経験をするなんて想像だにしていませんでした。

かつて妻が息子にタイ語のアルファベットを教えている時に、何度も同じところで言い間違える息子に対して、

「違うでしょ!ポーパーン(พ พาน) 30番目の子音」と大声で怒鳴っていたのを横目で見ていて、

「そんなに感情的にならなくてもいいのに、、、。」って他人事のように、上から目線で思っていたのですが、今回私自身が同じようなことをしてしまったわけです。

まさか、私が、こんなことで感情をコントロールできなくなるなんて、、、、。

これはかなりショックでしたが、そのおかげでとても重要な気づきを得ることができました。

「私に一体何がおこったのか?」

後々冷静になって

とても注意深く、自身に起こったことを観察してみたのです。

息子はこれまでに、一人で文章を読むことなんてしてこなかったわけですし、ましてや文章を読んで、主人公の適切な感情を推測して表現するなんて、わからなくて当たり前。

慣れない日本語ということももちろんあったでしょう。

徐々に高まる、私のいらいらを感じて、集中力も途切れたでしょうし、場の空気も悪化しているし、一息入れたかったでしょう。

息子にはまったく問題はありません。

一方で私の方に目を向けると、

私のほうが勝手に、

「これくらいはできるはずだ。」と期待したり、

「私の言うとおりにやるべきだ。」と支配欲求を出してしまっていたり、

「教科書に出ているのなら、他の子達もできているはずだ。」と他人と比較をしてしまっていたということに気づいたのです。

また同時に、

「教科書どおり、先生の言うとおり、カリキュラム通りにちゃんとやらなければならない。」

そんな作話が私の脳に深く刷り込まれている事を体感を持って認識しました。

私は就職活動もせずに、大学卒業後、あてもなくタイに移住した位ですので、そのような学校のルールや社会の縛りのようなものとは無縁と思っていたのですが、まったくそんなことはなくて、

自分の息子に対して、自身が数十年前に義務教育で受けてきたような形で、教育をしようとしていたのです。

「何でも自由にのびのびと、叱らず、褒めず、じっと見守る。」

「子どもの主体性を尊重して、個性を伸ばす。」

自分なりにそのような教育を実践しているつもりになっていましたが、実際にはそうではなかった、

限定し、型にはめる、勉強嫌いにさせてしまうやり方をしてしまっていたのです。

私の都合で、その日に決められた学習が時間通りに終わることを期待してしまっていました。

息子が課題に詰まって、「むつかしいよ!」というと、

「そんなのかんたんだよ。ここに書いているでしょう!よくみて!」などと、次の予定を気にしながら、イライラと、気も利かない、心無い、雑な言葉をかけてしまってました。

分かっているつもり、実践しているつもり、って本当に怖いですね。

ある程度の時間、実践をしながら、客観的な視点も踏まえて、感情の動きにも意識を向け、相手にも自分にも真摯に向き合わないと見えてこないこともあるのですね。

子どもの教育って親の覚悟を試されます。

向き合うならば、一定期間は何よりも子どもの教育を優先させるという心構えが大切だと改めて思いました。

学校や社会の要求もありますが、そういうものに盲目に従うのではなく、本当に子どもにとって大切なことを見極めながら、関わっていきたいものですね。

また同様の失敗を犯してしまうと思いますが、その都度、初心に戻って成長して行きたく思います。

オンライン授業でのお子さんとの関わり方、まだまだ歴史の浅い事ゆえ、うまくいかないこともおおいと思いますが、知恵を出し合いながら乗り切っていきましょう。

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